10月1日は何があった日?
1918年の今日、第一次世界大戦下、イギリス軍人T・E・ロレンス率いるアラブ軍がダマスカスに入城しました。 敵対するオスマン帝国への反乱を支援したロレンス。アラブ人にパレスチナでの国家建設を約束しながらこれを反故にしたイギリス。現在も続くパレスチナ問題の発端。
1918年の今日、第一次世界大戦下、イギリス軍人T・E・ロレンス率いるアラブ軍がダマスカスに入城しました。 敵対するオスマン帝国への反乱を支援したロレンス。アラブ人にパレスチナでの国家建設を約束しながらこれを反故にしたイギリス。現在も続くパレスチナ問題の発端。
紀元前585年の今日、メディア王国がリュディア王国に攻め込みました。戦争開始から6年目に起こった日食を不吉に思った両国は戦争を停止し平和条約を結びました。この時の日食を予測したのが古代ギリシアの記録に残る最古の哲学者タレスだったとか。 ◇口冊司作品はこちら>>...
1877年の今日、ロシア帝国がオスマン帝国に宣戦布告し『露土戦争』が勃発しました。 オスマン帝国領だったバルカン半島周辺の国々の反乱をロシアが支援。結果、ロシア帝国が勝利しセルビア、モンテネグロ、ルーマニアの各公国は独立しました。 ◇口冊司作品はこちら>>...
1453年の今日、 皇帝メフメト2世率いるオスマン帝国軍が東ローマ帝国の首都コンスタンティノープル(現在のイスタンブール)の包囲を開始しました。約2ヶ月間の包囲戦で都は陥落。東ローマ帝国は滅亡しました。この戦勝でメフメトは「征服王」と呼ばれるようになりました。
1936年の今日、 欧化主義者だったパハラヴィー朝イラン初代皇帝レザー・シャー(画像)が「女性解放政策」の一環としてヘジャブ着用を禁じました。保守的な女性は外出をやめ、中には自死する人も。さらに男性はヨーロッパ風の山高帽をかぶるよう定められ暴動も起こったとか。
1947年の今日、国連総会で『パレスチナ分割決議』が可決しました。パレスチナをイギリスの統治から解放しアラブ人とユダヤ人による分割支配。イスラム教徒とキリスト教徒にとっての聖地エルサレムは特別都市。しかし決議が採択されるとすぐに両民族の内戦が勃発しました。
2001年の今日、アフガニスタンの首都カブールがアメリカをはじめとする有志連合の支援を受けた北部同盟に制圧されました。アフガニスタンを支配していたタリバン勢力は逃亡しました。20年後、駐留していたアメリカ軍が撤退するとタリバンは再び襲来しアフガニスタンを奪還。
1995年の今日、テルアビブでの平和集会に出席したイスラエル首相イツハク・ラビンがユダヤ人青年に至近距離から銃撃され死亡しました。2年前、ラビンはパレスチナ解放機構のアラファト議長とオスロ合意を成立させ、イスラエルとパレスチナの和平を実現したばかりでした。
1918年の今日、第一次世界大戦を戦ったオスマン帝国がイギリスをはじめとする連合国に降伏しました。休戦協定の締結後、帝都イスタンブールが占領されたうえ600年以上続いたオスマン帝国は分割されました。画像は最後の皇帝となるメフメト6世。
1566年の今日、スレイマン1世が死去。満71歳。第10代オスマン帝国スルタン。彼が治めたオスマン帝国はヨーロッパ諸国、他イスラム諸国を圧倒し「帝国の最盛期」を迎えました。スレイマン1世の死後、大帝国の栄華はおよそ1世紀もの間、続きました。
1099年の今日、第1回十字軍による『エルサレム攻囲戦』が始まりました。聖地エルサレムを占領していたエジプトのシーア派王朝・ファーティマ朝から聖地を奪う戦い。ファーティマ朝軍を破り聖地に入った十字軍の兵士たちはようやく見ることのできた聖都に涙したそうな。
1936年の今日、イランでヘジャブ着用が禁じられました。キャシュフェ・ヘジャーブ。パフラヴィー朝イランの初代皇帝に即位したレザー・シャー・パフラヴィー(画像)が女性解放政策の一つとして実施。また、男性が着用する伝統服の種類も制限しました。
1100年の今日、第1回十字軍の指導者の1人ボードゥアンが中東パレスチナに樹立されたキリスト教国であるエルサレム王国の初代国王に即位しました。この後ムスリム勢力との聖地エルサレムの奪い合いは繰り返されたものの1291年エジプト軍の侵攻により滅亡するまで続きました。
1825年の今日、カタールの初代首長にサーニー家のサーニー・ビン・ムハンマドが就任しました。以後、今日までの約二百年間カタール首長はサーニー家の世襲に。現在は十代目首長タミーム・ビン・ハマド。2002年の内閣閣僚の6割はサーニー家が占めましたが今の閣僚では3人に。
1240年の今日、モンゴル軍がキエフ大公国の首都キーウ(キエフ)を陥落。キエフ大公国が滅亡しました。ベラルーシ、ロシア、ウクライナはキエフ大公国を源流とし、現在ウクライナの首都であるキーウは「ルーシの都市の母」と呼ばれました。画像は建国者オレグ王の想像画。
1917年の今日、イギリス外務大臣バルフォアがパレスチナ内にユダヤ人の国家建設を援助することを約束しました。この『バルフォア宣言』とは別にイギリスはパレスチナのアラブ人独立を承認。この矛盾した二つの「約束」が現在の『パレスチナ問題』の遠因になったとも。
1520年の今日、壮麗王スレイマン1世がオスマン帝国の第10代皇帝「スルタン」に即位しました。46年にわたる在位の中で13回もの遠征をして多くの軍事的成功を収め帝国を最盛期に導きました。トルコでは法典を編纂し帝国の制度を整備したことから「立法帝」とも呼ばれています。
1923年の今日、オスマン帝国の将軍ムスタファ・ケマルが「共和人民党」を創設しました。ケマルは第一次世界大戦においてオスマン帝国が敗れたのを機に「トルコ独立戦争」と「トルコ革命」を主導。「トルコ共和国」を樹立しました。トルコ共和国の元帥にして初代大統領に就任。
1757年 の今日、インド・ベンガル地方の村プラッシーにおいてイギリス東インド会社の軍が、同地を統治するムガル帝国とフランス東インド会社の連合軍を破りました。事実上イギリスのインド支配が始まりました。ベンガルの詩人は「インドにとって永劫に続く闇夜」と。
452年の今日、アッティラ率いるフン族がイタリアに侵入しました。都市を陥れたアッティラでしたが教皇レオ1世の説得によって撤退。一説にはフン族陣営で疫病と飢餓が発生し侵攻を中断せざるを得なかったとか。アッティラは現在のロシア、東欧、ドイツを結ぶ大帝国を樹立。