12月9日は何があった日?
1916年(大正5年)の今日、小説家の夏目漱石が腹腔内出血を起こし死去しました。 最期の言葉は、寝間着の胸をはだけながら「ここに水をかけてくれ、死ぬと困るから」 と叫んだとか、泣き出した四女に漱石が「いいよいいよ、もう泣いてもいいんだよ」と言ったとも。
1916年(大正5年)の今日、小説家の夏目漱石が腹腔内出血を起こし死去しました。 最期の言葉は、寝間着の胸をはだけながら「ここに水をかけてくれ、死ぬと困るから」 と叫んだとか、泣き出した四女に漱石が「いいよいいよ、もう泣いてもいいんだよ」と言ったとも。
1914年(大正3年)の今日、帝国劇場での東京フィルハーモニー会第14回演奏会で、1912年に山田耕筰によって作曲された「勝鬨と平和」が初演されました。日本人が作曲した最初の交響曲。 山田耕筰は日本初の管弦楽団を造るなど日本において西洋音楽の普及に努めました。
1921年(大正10年)の今日、安田財閥の総帥である安田善次郎(画像)が大磯の別邸で右翼浪人に暗殺されました。犯人はその場で自殺。 この事件の約1か月後に起きた総理大臣・原敬の暗殺事件はこの事件に影響されたものとされています。 ◇口冊司作品はこちら>>...
1922年(大正11年)の今日、靖国神社相撲場で渡辺勇次郎主催の日本初のプロボクシング興行「日米拳闘大試合」が開催されました。日本で初めて本格的なボクシングジム「日本拳闘倶楽部」を創設した渡辺勇次郎は多くの名選手を育てた「日本ボクシングの父」と呼ばれています。
1915年(大正4年)の今日、東京株式市場が暴騰。『第一次大戦景気』が始まりました。 第一次世界大戦で勝利した『連合国』の一つでありながら本土が戦地にならなかった日本。被害を最小限に国際地位を高め、商品輸出が急増するなど空前の好景気に。5年後の恐慌まで続きました。
1913年(大正2年)の今日、 かつて江戸幕府の最後の将軍だった徳川慶喜が急性肺炎により死去しました。享年77。明治政府によって謹慎させられ、無位無官になっていた慶喜は明治5年に従四位に叙され、ついで明治13年には将軍の時と同じ官位である正二位を与えられました。
1923年の今日、関東大震災の発生から5日後、千葉県福田村に来た香川県の薬の行商団15人が地元自警団200人から暴行を受け、子供3人を含む9名が殺害されました。震災後の混乱やデマにより社会不安が蔓延。この事件の他、在日の朝鮮人や中国人が襲撃され多くの死傷者が出ました。
1923年(大正12年)午前11時58分、関東地方南部を震源として震関東大震災が発生しました。揺れは約9000km離れたウイーンでも観測され、世界にいち早く関東地震の発生を報じたのは日本ではなくオーストリア気象庁でした。死者・行方不明者105,385人。
1926年(大正15年)の今日、千葉県香取郡久賀村で3人を殺害したうえ警官にも重傷を負わせる事件が発生。犯人である岩淵熊次郎は山中に逃亡。最後まで警察に捕まることなく岩淵は自殺しました。通称「鬼熊」の名は全国的に知られ、演歌に歌われるほどの人気に。
1915年(大正4年)の今日、大阪府豊中グラウンドで第1回全国中等学校優勝野球大会(後の全国高等学校野球選手権大会)が開幕しました。春の東京都大会で優勝した早稲田実に加えて各9地区で予選を勝ち抜いた9校が出場。京津代表の京都二中が優勝しました。画像は始球式の様子。
1916年(大正5年)の今日、小説家・夏目漱石が死去しました。享年50歳。死の直前に泣き出した娘を妻が注意すると漱石は「いいよいいよ、もう泣いてもいいんだよ」と言ったのが最期の言葉になりました。漱石の脳は現在も東京大学医学部に保管されています。
1915年(大正4年)の今日、東京株式市場が暴騰。「第一次大戦景気」が始まりました。 第一次大戦下、五大国の一つとして参戦国になりながら本土が戦地にならず軍需品輸出が急増した日本。このバブルは1920年の「戦後恐慌」まで続き日本の都市社会を大きく変貌させました。
1921年(大正10年)の今日、内閣総理大臣の原敬が東京駅で刺殺されました。犯人は反政権的な思想を持っていた山手線大塚駅職員・中岡艮一。裁判では調書もほとんど残されていなかった上、無期懲役となった中岡には3度もの減刑がなされ1934年に釈放されたそうな。
1912年(大正元年)の今日、二か月前に崩御した明治天皇の大葬が行われました。同日、日露戦争の英雄と称えられた陸軍大将・乃木希典と彼の妻・静子が殉死しました。希典は遺書に「後のことは静子に聞くよう」と記しており、妻が殉死するとは思っていなかったようです。
1919年の今日、朝鮮の南大門駅(現 ソウル駅)で独立運動派の姜宇奎が朝鮮総督である斎藤実に爆弾を投げつけました。斎藤に怪我はなかったものの護衛の日本人警察をはじめ37人が死傷しました。斎藤実は後に総理大臣となり「二・二六事件」において将校に暗殺されています。
1923年(大正12年)の今日、南関東とその隣接地で大きな地震が発生しました。関東大震災。死者・行方不明者は推定で十万五千人。阪神淡路大震災では圧死、東日本大震災では溺死、関東大震災では焼死が多く、当日、台風により吹き込んだ強風が要因になっています。
1913年の今日、東北帝国大学の入学試験に女性が合格。初の女子帝大生。 黒田チカ 化学者、理学士、お茶の水女子大学名誉教授 牧田らく(金山らく) 数学者、理学士、東京女子高等師範学校教授 丹下梅子(丹下ウメ) 農学博士、日本女子大学理学部が「丹下記念奨学金」設立 ◇口冊司作品はこ
1913年(大正2年)の今日、名古屋の小売商が何者かによって殺害されました。吉田岩窟王事件。二人の被疑者の嘘の供述により事件に無関係だった吉田石松が主犯として逮捕されたうえ死刑を宣告されました。その後、冤罪を訴え続け事件発生から半世紀後に無罪を勝ち取りました。
1915年の今日、梁瀬長太郎が梁瀬商会(現在のヤナセ)を設立しました。関東大震災が発生した時「大災害の時は物より人の移動が優先される」と考えた梁瀬はGMに乗用車2000台を注文。これが当たり破産寸前の状態から復活。トラックを輸入した同業者は在庫処分に苦労したとか。
1915年(大正4年)の今日、広島県物産陳列館が竣工しました。「広島県産業奨励館」と呼ばれた施設は原爆が投下され、今では「原爆ドーム」と呼ばれています。日清戦争で大本営が置かれた広島県は軍都として急速に発展。県の物産を展示する為の施設として建設されました。